歌は私に訪れるものである。タゴールは神に背中を押されながら、歌を紡いだ。
子どもは語らない。歌う。それは世界に身を委ねているからだ。
悲しみや喜び、怒り、痛み、そして愛がやって来たとき、私たちに歌が宿る。
人類はそのように生きてきたし、これからもそのように生きていく。 素晴らしい映画だ。
中島 岳志
東京工業大学教授
詩人は、未知なる読者によって読まれ、その言葉が口ずさまれたときによみがえる。この作品には、おそらく多くの日本人が知らないタゴールがいる。だが、それは、ほんとうのタゴールでもある。
この詩人は、多くの詩を書いただけではなかった。それに曲を与えて、世に放った。その言葉は、今も多くのインドやバングラデシュの人たちによって愛読され、愛唱されている。
人々はそれを名高き国民詩人の言葉として歌うのではない。「わたし」の内から湧き上がる、朽ちることなき希望の歌として口ずさむのである。
見る者は、必ずや、言葉となって新生するタゴールと遭遇するに違いない。愛すべき秀作だ。
若松 英輔
批評家/随筆家
もし 君の呼び声に誰も答えなくても ひとりで進め
もし 誰もが口を閉ざすなら
もし 誰もが顔をそむけ 恐れるなら
それでも君は心開いて 心からの言葉を ひとり語れ
(タゴール「ひとりで進め」より)

という厳しい歌詞には、楽しくてしょうがなくて溢れてきたような、そんなメロディがついていた。
ベンガルの子供たちが、家や道端で、タゴールの歌に生き方を教わるのに、学費は要らなかった。それぞれの生命力の溢れるままに、音と詩を楽しみ、歌はそれぞれの個性の背中を押した。
それぞれのスパイスが主張しているのに、全体でひとつのハーモニーになっている、カレーのような愛しいインドの人々。この映画を通して、タゴールの歌に親しむことで、日本の教育で協調性を学んだ結果、存在を忘れられてしまった私たちの機能の一部が、もう一度目覚めますように。
コムアイ
水曜日のカンパネラ
ひとりからつくられたはずの詩や歌が、多くの人々や空間にしみわたり、命を渡って長く繋がってゆく様子を見ていると、それはまるで菌類のようでもあり、取りこんでゆくわたしたちもまた、菌類の一部のように感じるのです。
こんなにもそれぞれ違ったわたしたちをひとつにしてくれる、その源に鳴っている、静かな言の葉や音の震えに、いつでも脈を伸ばしていたいと思いました。
青葉 市子
音楽家
120年も昔から、届いてくるタゴールの声。
もし 君の呼び声に誰も答えなくとも一人で進め、
に、がーんと来ました。
今もみんなを励まし、家や庭や街のそこここで歌い継がれている、
その、ただ一人の歌声って、一番強いのかもしれない。
出てくる人たちみんな好きになりました。
歌うことは伝えること、あとに残るものは歌。
私も歌おう、伝えよう、この歌を。
あと、インド行きたい!
テニスコーツ さや
ミュージシャン
23年前に初めてコルカタを訪れて以来、「ベンガル人ってなんでこんなにタゴールが好きなんだろう」とずっと思っていましたが、おかげでやっとその理由が少しわかった気がします。めっちゃくちゃ面白かったです。素敵な映画を作ってくださってありがとうございました。
それにしても、インドの国歌とバングラデシュの国歌の両方を作ってるってものすごいことですよね。
ユザーン
タブラ奏者
それまで神々しか説かなかった自然や人間界の摂理を、一人の人間が溢れる芸術的センスとリアリティを用いて説いた。百年前に歌われた詩は何故現代に生き続けるのか?それは人の眼が見る世界など過去も現在もそれほど変わっていないからかもしれない。詩、音楽、舞踊、と様々な芸術的分野に貢献したタゴールの類稀な才能は、今尚多くのベンガル人に愛されている。歴史的にも揺れ動いた当時のインドから届いたタゴールの詩、それを現代の日本に照らし合わせて解釈すると、私達には何が見えるだろうか?
石濱 匡雄
シタール奏者
自分の声で歌をうたうこと、誰かの声を目の前で聞くこと。歌やことばを身体で感じることは誰かのこころに触れることだ。そんな魔法でタゴールのなかにいるこころに触れたとき、私たちは特別な表情になる。それは、タゴールが愛した人間や自然への気持ちが音をたどると見えるから。
100年後の今もベンガルでこの歌たちがうたわれるのは、大地や出来事への祈りや、誰かのこと、そして自分の生きる道を愛したいと思うこころがどっしりとある、しるしなのかもしれない。
真舘 晴子
The Wisely Brothers
この映画作品は、「詩聖タゴールの歌が百年を超えた今もなぜこれほどベンガル人(約4億)に愛され、心惹かれているのか」を主旨に挙げて製作したと監督はいう。文字通り、老若男女を問わず各地で日常に歌っている人々からは、大いなる自信、誇り、悲喜交々の感情が吹き出ている。
「私はタゴールと共に生きている、人生の全てをタゴールから学んだ」と言い切れる民衆は幸せだ。ラビンドラ サンギート(原語)に心酔している人々が心底羨ましい。できれば、私もこの恵みにあやかりたい。この映画を通して、日本でもタゴールの詩歌が、歌唱が、かけがえのない恵みを知らしめてくれますように!
タゴール暎子
作家
時に希望を持ち続けるのが難しいこの時代に、内側から人生を照らす詩を持つベンガルの人々が羨ましい。詩や歌を拠り所に人生をよりよきものにしようと努力する、なんて美しい文化だろう。かつて私も、「バウル」と呼ばれる歌と詩を求めてベンガルの大地を旅したことがある。あの時に聞いた歌はいまでも確かに私のなかにあり、迷った時、傷ついた時、胸の内に明かりを灯してくれる。この映画のおかげであの歌、あの風景、あの風にもう一度出会えた。ありがとう。
川内 有緒
作家
映画を見ている間じゅうずっと、子どもも大人も若者も、
女も男も口ずさめる詩をもつベンガル語が羨ましかった。

法律の言葉が役に立たず、
政治の言葉があまりにもむごいとき、
私たちの日本語にもそんな詩があったら
孤独はもうすこし優しく、
希望はもうすこし近くから、
私たちを自由に向かって勇気づけるだろう。
大崎 清夏
詩人
タゴールの詩を巡るドキュメンタリーかと思って観たけど、全然ちがった。
生活に歌があふれ、歌が人をむすび、人が町を色づける。出会いと別れ、笑いと涙の物語がつまってる。この映画自体がタゴールの詩なんだ。
コロナウイルスの感染に怯え、情報に疲れ、政治に落胆し、だれもが不安な夜をすごしている、この2020年に向けてタゴールは歌っている。出口の見えないトンネルのなか、口をついて出る歌がぼくらにもあったらどんなに救われることか!
矢萩 多聞
画家・装丁家
画面の向こうで、人々がさも自分の物かのような表情と抑揚でタゴールを歌うものだから、つい、焦ってしまった。理解しなければ、咀嚼しなければ、と身構えて。
眉間にシワが寄ってきた頃、おじさんが言った。「タゴールの詩は理解できるものではない」
なあんだ。肩の力が抜けたらあとはもう、メロディーと詩がただ染み込んでくるだけ。
喜びも悲しみも愛も孤独も風景も哲学も、全てを内包したタゴールソングはベンガルの人々にただそっと寄り添っていた。そして私たちにも、きっと寄り添い続けてくれるのだろう。
加治 まや
モデル/ライター
『タゴール・ソングス』公開を誰よりも喜んでいるのは、百年前のタゴールかもしれません。「私のこの春の歌を、君の春の元へ送ろう」との願いが、幾重にも連なり、届けられようとしているのですから。歌にはその力があると信じていました。言葉と旋律の溶け合う音霊を丁寧に綴った折々の歌が、人々の間でどう生きてきたのか?今、新しい詩人の胸にどう響いているのか?時を越えタゴールの問う声が聞こえます。
この春の元、若き監督のチャレンジを通して、ベンガルという枠を越えたタゴールソングの未来を見渡してみたいと思っています。
奥田 由香
タゴール・ソング歌い手/ベンガル語講師
ベンガル人は家族の絆が強い。それだけにオノンナのように息苦しさを感じる場合もある。けれどそのオノンナも叔母の歌うタゴール・ソングに勇気づけられる。どういう事情でか家族を失った元革命家のオミテシュも、タゴール・ソングに生きる意味を見出し、人生の終盤でそのすべてを伝えるべき愛弟子に出会う。そして幼いころに両親を失くし、まったくの孤独だったナイームを支えたのもタゴール・ソングだ。タゴール・ソングは家族そのものではないが、それに代わって人を包み込んでくれる。
丹羽 京子
東京外国語大学 教授
歌が、詩が、時代も、人種も、越えて継がれていく。
そんな奇跡があたりまえのように続いていたのは、
わたしたちが集える場があって、語りあえる軒下があるからなんだ。
感染症が広まる中、本作を観て、その事実にハッとした。
詩にやさしく寄りそうカメラに涙した。
入江 悠
映画監督
私たちはひとつの時代・場所でしか生きられない。しかし私たちは違う世界・世代の人々とも何かを少しずつ共有しながら今を生きている。それは時に時空を超えた繋がりを生む。
「タゴール・ソングス」はこの驚くべき繋がりを、ベンガル世界に息づく詩人の唄を通して描く。それは奇跡にも見えるが、実は軌跡だ。人々が受け継いだ営みの軌跡。苦難を乗り越える勇気と歓喜の軌跡だ。世界が不安と分断に苛まれた今こそ、多くの人々に届けたい映画だ。
村上 浩康
映画監督
以前、コルカタにしばらく滞在して撮影をしていたのだが、あまりに刺激的でカオスな日常で、ファインダーを通してそれを切り取るのが嫌になりカメラを置いてしまった瞬間があった。本作には、私が体感し、撮り逃したその風景が映っていた。
この混沌とした町に生まれたタゴールの言葉は時を超え、国境、民族を超えて、人の心に染み入り、それぞれを繋ぎ、新たな可能性を生み出す。それを深い敬意を持って物語った『タゴール・ソングス』は、彼の詩と同様、長く人々に愛される作品になるだろう。
世界中が厭世的な思考になりつつある今、多くの人に是非観て、感じてほしい。
佐々木 誠
映像ディレクター/映画監督
伝説の詩人は生きていた。人々の心の中に。甘美な旋律と言葉で、乾き、傷つき、疲れ果てた者を強め、人間の誇りと生きる力を与え続けていた。私は知らなかった。昔話のように母から聞いた偉大なる詩人が、現代も人々に寄り添い続けていることを。祖父・渡邉照宏が、日本人も歌えるようにと、言葉を選び抜いて訳した努力の意味が今わかった。この映画はタゴールというインドの至宝が、時代を超えて、あらゆる人々を生かし続けていることを記録した貴重なフィルムである。
渡邉 照香
教誨師/延命院 副住職
世界のスラムを放浪し
「いま」を切り取る言葉を探して
ずっと一人で格闘してるとおもってた

タゴールの言葉はまるで
百万光年の彼方から
「いま」
わたしたちに降り注ぐ光のように
孤独と孤立は違うと教えてくれる

死してなお
人と人の間にタゴールの生き様を見せられた時
たどり着きたいのは場所ではなくて
手に入れたいのはモノではなくて
君に届く言の葉

「今から 100 年後に 私の詩の葉を こころを込めて読んでくれる人  君は誰か」
そこに賭けたい/翔けたい
FUNI
ラッパー/詩人
聖典を何年、何十年も読み込んで咀嚼して、ようやく琴線に触れるかもしれない、生きるという現象の真珠を、タゴールの素朴で飾らない詩の言葉は運んでくる。そよ風のように、あるいは誰もが身に付けられるシンプルな首飾りのように。人生のあらゆる場面が深い本質の輝きに繋がっていく事を、その悲しみとよろこびを、てらいなく口ずさむ事ができるベンガルの人の幸せが、この映画を観た人は羨ましくてたまらなくなるでしょう。
パロミタ
バウル行者
知らない人があなたの大切な歌について語るのを聞いて、口を挟みたくなったことはありませんか?価値観すら合わない先輩と大切な歌がかぶって戸惑ったことはありませんか?『タゴール・ソングス』はそんなあなたに、大切な歌があることのしあわせを伝えてくれる映画です。
父親と娘、教師と生徒…様々な人が語るタゴール・ソングへむけられた一人一人ちがう想いが思い出させてくれるのはあなたと大切な歌のつながりです。
山口 勲
詩人・詩誌『て、わた し~日本の詩と世界の詩~』発行人
詩とは何か?何の役に立つのか?──日々使い古された「役に立てる」ための言葉たちを前に、わたしたちは詩の言葉への信頼を失っている。
しかし、『タゴール・ソングス』を見てほしい。日常のあらゆるところに詩が宿り、そんな疑念など吹き飛んでしまう。歌が、踊りが、声が、顔が、タゴールの詩とともに生きている。なんと豊かな生活だろう、なんと贅沢な詩の経験だろう。
『タゴール・ソングス』はそれ自体が詩であり、詩集であり、詩を生きる経験だ。
工藤 順
ロシア語翻訳労働者
街なかで「歌って」と頼まれ、老いも若きも、小さな子供も、あたりまえのようにタゴールソングを歌える。するとそこには、人の心を揺さぶる不思議な力が発動する。まるで“奇跡のライブ”や“神ライブ”のように。そんなヒリヒリする瞬間が、この作品にはいくつもいくつも登場する。いうなれば、魔法の可視化。ふと思う。魔法がごく身近に息づくベンガルの人たちの方が、物であふれる国の住人より遥かに豊かなんじゃないか、と。
田嶋 章博
東洋経済オンライン『カレー経済圏』ライター
ベンガルの人にとってタゴールは身近な人なので、親しみをこめて個人名のロビンドロと呼ばれる。それゆえ、タゴール・ソングは「ロビンドロ・ションギト」だ。2300余りの歌詞+曲があるという。これらの歌がインドの西ベンガル州とバングラデシュの普通の人々の心の中に、これほど根深く生きていることに驚愕した。さらにインド国歌の作詞作曲、バングラデシュ国歌の作詞もロビンドロだという。この稀有なドキュメンタリーに触発されて、今更ながら僕もロビンドロの詩の世界をさ迷いたくなった。
麻田 豊
ウルドゥー語学文学
「コルカタでは歌や楽器を子どもたちに習わせることが好とされているのです」あるインド料理屋のオーナーが教えてくれた。音楽家カーストの中でのみ伝承されてきた秘密の芸能を、一般家庭が恥ともせず奨励しているなんて、なぜ?この映画を観て、旧カルカッタと東・西ベンガル地方の文化風土としてタゴールの詩と歌が、ベンガル人特有の血液型として宗派やカーストを越えて人々の心の奥底を流れているからだと気づかされた。
村山 和之
中央大学・和光大学講師
タゴールは、「人々の間に結合をもたらし、平和と調和を築くことが文明の使命である、日本文明は人間関係の文明である、日本文化の根底には結合への理想がある、人と人との結合そして人と自然との結合への理想である」と述べている。タゴールは、日本民族の奥底には、人と人、人と自然を結びつけようとする文明的使命があると強く期待しているのである。「タゴール・ソングス」は、このタゴールの日本の文明・文化的使命を体得するための一助となる画期的ドキュメンタリー映画である。
野呂 元良
日印タゴール協会事務局長
ベンガルに暮すごく普通の人々の、日常生活を初めて垣間見た。そこには、80年近くも前に亡くなった詩人の歌が今も息づいていた。タゴールソングである。ただ単に歌い継がれているだけでなく、現代音楽に影響を与え、さらには人々の生きる指針となっている。その様な人物が日本にいただろうか、その様な歌が日本にあるだろうか。
あえて何も説明はないが、それだけに、その歌その詩人の影響を知ったことで、日が経つにつれて、忘れがたい想いが強くなってくる不思議な映画である。
平井 誠二
大倉精神文化研究所 所長
インドの詩聖タゴールが100年ほど前に創った “タゴールソングス”は、今でもインドで日常的に歌われ、 そのメロディは 日本人にとってもなぜか懐かしく心に響くものです。これは、タゴールと岡倉天心がアジアの文化と平和への想いを共にして、国を越えて繋がったこととも重なります。映画「タゴールソングス」は 、国境や民族、さらに時空を超えて人の想いを結び、行動を促す強い力を持っています。タゴールから100年後、地球環境や、平和、健康・福祉などの共通課題に国や 民族を超えた取り組みが極めて重要な今、この映画を観て考える意義は大きいと思います。
金子 延康
ディスカバーインディアクラブ(DIC)副会長・事務局長